"予測できないこと"こそ、与えられた最大の贈り物

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マイケル・クラレージのサブスタック「マイケルのニュースレター」に掲載された記事を紹介します。

クラレージは、
「古典物理学とは完全な予測可能性そのものであり、したがって量子力学の不確定性は古典物理学と対立する、と誰が言ったのか?」と問います。それは本当か?と。
「それは本来の問題点ではなかった」
「予測不可能性は普遍的なものであり、量子力学の領域に限ったことではない」と軽くポイントを押さえます。
クラレージは、
早い話が「具体的な事象は、何一つとして予測できない」
「量子力学の話に戻ると........測定器と結果の間、科学者と測定器の間には何らかのつながりがある。観測者は宇宙の一部だ........したがって、観測者が何を観測するかが........事象の進行を決定する。これこそが、古典物理学が軌道から外れた........科学者たちが軌道から外れた真の分岐点だと私は思う」
だから、
「自分の意識が事象の展開に微塵の影響も及ぼし得ないと想像すること―これは極めて愚かなことだ」と釘をさします。

クラレージは、すべてを知り尽くした存在(全知全能の神)や、未来が完全に決まっているという考え方(ラプラスの悪魔)には懐疑的で、予測不能性の中にこそ自由と創造性が宿り、「あなたや私にとって、この予測不可能性こそが出発点だ」と言います。
クラレージという人は、物理学という枠を超えて(聖書の解釈まで)考えている人なんだなと改めて感じます。

特に、『創世記』に触れたくだりでの解釈にはビックリ。従来の神学がひっくり返る指摘です。このような解釈は初めて聞きました。

ちなみに、タイトルのすぐ下に「注意:これから聖書の引用が続きます」という文言に、ん?と思う方もいらっしゃるかと思います。なぜこういう文言をつけるのか、これもCopilotに質問しました。

クラレージがこれを入れる理由は、主に次の三つ。
・読者への配慮 —Substack の読者には宗教的引用が苦手な人もいるので、「これから宗教的な話題が出ますよ」と前もって知らせるため。
・ユーモア —
“Warning,” と言いながらも深刻ではなく、「また聖書の引用が来るけど、まあ気楽にね」という軽いジョーク。
・文脈の切り替え —
科学的な話から宗教的・象徴的な話に移るとき、読者が心の準備をしやすいようにするため。
🌌 ニュアンスとしては........
・"警告"というより “軽い注意喚起+ちょっとした冗談”
・"また引用するけど、驚かないでね"という語り手の笑いを含んだ声
クラレージの文章は、科学・神話・宗教を横断するので、読者の反応を和らげるためにこういう"クッション"を入れることが多い。

予測不可能性

マイケルのニュースレター
予測不可能性 Unpredictability
注意:これから聖書の引用が続きます。
マイケル・クラレージ
2026年6月4日

雨樋から雨滴が落ちていくのを見ながら、次の雨滴がいつ、どこに落ちるかを予測することについて思いを巡らせている。頭には、量子力学における予測不可能性という概念が浮かぶ。この話は間違って伝えられてきたのではないかと思う。古典物理学とは完全な予測可能性そのものであり、したがって量子力学の不確定性は古典物理学と対立する、と誰が言ったのか?
まあ、誰が言ったかは分かっている。大勢の人がそう言い、今もそう言い続けている。今思うに、それは本来の問題点ではなかった。
あるホラ吹きが「宇宙のすべての粒子の位置と速度を教えてくれれば、未来を予測してやる」と言った。その大言壮語が、私たちを抜け出さなければならない袋小路へと導いてしまった。
窓の外を見ると、濡れたアスファルトの屋根板と、予測不能に現れる雨粒が見える。そして、誰も、決して、絶対に、すべての雨粒の位置を予測することはできないと気づく。次の雨粒がどこから落ちてくるか、誰も予測できない。私の屋根の上でも、今日濡れているニューイングランドの数百万もの屋根の上でも、だ。

馬鹿げた理論的な概念のせいで、現実的な視点が見失われてしまう。古典物理学が実際に自然の細部を予測できると想像することなど「もしナポレオンがB52爆撃機を持っていたら?」というレベルの話と同じくらい、空想に過ぎない。そんな議論の場に立ち会ったことはありますか?
私は、そうした議論は「位置と速度を教えてくれ........」と言うのと同じくらい役に立たないと思う。なぜなら、そのどれもがこれまで一度も起こったことがなく、これからも決して起こらないからだ。

予測不可能性は普遍的なものであり、量子力学の領域に限ったことではない。
言い換えよう。具体的な事象は、何一つとして予測できない。決して。どこにおいても。大勢の人々の集団はかなり予測可能であり、かなり........どう言えばいいか、監視やマスメディアという道具を使えば容易に操ることができる。このエッセイはそれについてではない。このエッセイは、あくまで個人についてのみ論じている。

量子力学の話に戻ると、量子力学が私たちにもたらした真に偉大な貢献は、観察者の役割に対する真摯な問いかけだったと思う。この問題についてどれほど頭をひねっても、問題は消えることはない。測定器と結果の間、科学者と測定器の間には何らかのつながりがある。観測者は宇宙の一部だ―声に出して言えば当たり前のことだが―したがって、観測者が何を観測するかが、電場や地震が事象の進行を決定するのと同様に、事象の進行を決定する。これこそが、古典物理学が軌道から外れた、あるいはむしろ、科学者たちが軌道から外れた真の分岐点だと私は思う。
自分の意識が事象の展開に微塵の影響も及ぼし得ないと想像すること―これは極めて愚かなことだ。特に、ギリシャ語の形容詞"idios"が "自分自身の"、あるいは"私的な"を意味することを思い起こせばなおさらだ。自分の意識は自分だけのものだと信じ、それが自分以外の何ものにも影響を与え得ないと考えるのは、真の愚か者だけだろう。

簡単な実験だ。友人をどう見るかは、会話がどう展開するかと結びついている。
つまり、私の内面の姿勢のことだ。心の中で相手を批判するのか、それとも、神からの光線が奇跡的に具現化したもの、永遠の理念の一時的な現れとして、再び "完璧な人間"を作り出そうとする存在として、心の中で見なすのか。
次に友人と話す時、この二つの選択肢を内面の姿勢として試してみてほしい。会話の展開に違いがあるかどうか確かめてみてほしい。そして、自分が何をしているのか相手には言わないでほしい。

他者をどう見るかが未来に影響を与えることは確かだ。しかし、私が雨どいをどう知覚するかが、屋根からどの雨粒が落ちるかに影響を与えるだろうか?
ああ、こうした量子的な謎に対しては、常に反論がある。いいえ、私はどの雨粒が落ちるかに影響を与えることはできない。そして、影響できないことを神に感謝する。もし私の内なるイメージや願いのすべてが即座に現実に現れたとしたら、混沌と破壊が私から瞬く間に放射されてしまうだろうから。では、私の内面が影響を与えられるものと、与えられないものの境界線はどこにあるのか?
その境界線の一つが、私の肉体だ。日常の出来事を例に挙げよう。私はカップに手を伸ばしたいと願えば、あっという間に! 何百万もの細胞がその衝動に従い、カップが掴まれる。これはどうして起こるのだろうか?
物質はどのようにして欲望の影響を受けるのだろうか?
物質が願いに従うというこの日々の奇跡に、私は気づいていない。考えが具現化され、足が動き、口が語る。ロゴスが具現化される。
どうやって?
私は自分の細胞からなる身体に対して、ある程度の支配力を持っている。ここでは、私の願いを具現化することができる。もしその言葉にもっと精緻な定義が必要だとすれば、これはまさに奇跡だ。

初期キリスト教思想において、男性と女性は、彼らが何を示し得るか、どのような願いが明らかにされたかに応じて、明確かつ限定された尺度の上に位置づけられていた。異端者や信じない者たちは虚偽の世界に迷い込み、何の役にも立たなかった。信じる者たちは、少なくとも破壊的ではなかった。忠実な信徒たちのレベルは、世界の贖いに役立つことができた。聖人たちは―ここが興味深い点だが―実際に世界に変化をもたらすことができた。聖人以下の者には、本当に何かを成し遂げることはできない。聖人の言葉は歴史を変えた。聖人の心は未来を変えた。すべての聖人は、自分自身の意志を行使しているのではなく、神の意志を求めようとしていると語る。
ここには明確な変化がある。すなわち、実際に有益な変化をもたらす能力は、より高次の存在の意志に従うことと結びついているのだ。

※太字は著者。考察は最後にまとめました。

聖人より上の存在とは何か。

預言者は聖人より上だ。預言者はまったく別物だ。その好例がエゼキエル書にある。ヤング直訳聖書から、少し長くなるが引用する。

37.1)主の手がわたしの上に臨んだ。わたしは主の霊によって連れ出され、ある谷の真ん中に降ろされた。そこは骨でいっぱいであった。

2)主はわたしに、その周囲を行き巡らせた。見ると、谷の上には非常に多くの骨があり、また見ると、それらは甚だしく枯れていた。

3)そのとき、主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか。」
わたしは答えた。「主なる神よ、あなたのみがご存じです。」

4)そこで、主はわたしに言われた。「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。

5)これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。

6)わたしは、お前たちの上に筋をおき、肉を付け、皮膚で覆い、霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。そして、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。」

7)わたしは命じられたように預言した。わたしが預言していると、音がした。見よ、カタカタと音を立てて、骨と骨とが近づいた。

8)わたしが見ていると、見よ、それらの骨の上に筋と肉が生じ、皮膚がその上をすっかり覆った。しかし、その中に霊はなかった。

37.1〜8 は、エゼキエル書 37 枯れた骨の復活より引用

その後の展開を知りたいなら、テキストをさらに読んでほしい。

つまり、預言者は奇跡を起こすことができる。すなわち、この地上の物質や生命を再構成することができる。預言者は、より高い次元の声を聞く。その高い次元は「こう言え」と命じる。「こうせよ」ではなく、「こう言え」と。預言者とは、より高い次元の指示に耳を傾け、その指示を語り、それによって言葉が顕現する人物である。
私たち自身と私たちの身体に話を戻すと、私たち一人ひとりは、自分の筋肉や骨にとっての預言者なのだ。私たちが望めば、手はそれに従い、カップをつかむ。

これらすべてを本題に結びつけよう。
私たちは、予測できない雨粒の世界から話を始めた。これが、私たちの周囲にあるごくありふれた日常の世界だ。
次に、それを量子力学の世界と結びつけた。量子力学は、最も熱心な唯物論者でさえ無視できない形でこれを定式化しており、そこでは未来は本質的に予測不可能であり、観測の有無が実際に何が起こるかを決定づける。そして、人間の意識―あなたの意識、私の意識―をこの話に持ち込んだ。この意識は重要であり、世界と現実的なつながりを持っている。あなたの意識は、時間の中で展開する出来事に影響を与える。
次に、私が最も詳しいある特定の伝統について考察した。他の伝統でも同様のことが語られていると確信しているが、意識が異なるレベルに存在し得るという伝統について見た。あなたや私のように、たまにしか意識していない人でも、ありがたいことに、世界に対して限られた影響を与えることができる。しかし、私たちは周囲の人々をどのように捉えるかによって、彼らに影響を与えることができる。そして、私たちはさらに視野を広げ、人がより高次の何かに耳を傾けることで、世界に非常に大きな変化をもたらすことができるのではないかと考察した。

私がこのエッセイに「予測不可能なUnpredictable」というタイトルをつけたのは、私たちの世界が本来、予測できないと心から信じているからだ。"全知全能"の神に関する主張は、私にとっては最高レベルの戯言に過ぎない。
『創世記』の冒頭、アダムとイブが善悪の知識の木の実を食べた後、神が園を歩いている場面に、まさにそれが書かれている。
「主なる神は人を呼び、彼に言われた。『お前はどこにいるのか?』」
神は、自分の造った人間がどこにいるのかを知らない。これは核心を突いている(この一点で従来の神学がひっくり返る)。これは、「神はすべてを知っている」という哲学をほぼすべて覆すものだ。
さらに、「誰が、お前は裸だと告げたのか?」
神は何が起きたのか、またそれがどう起きたのかも知らない。これは極めて重大なことであり(ここで神学の前提が崩れる)、宇宙論的にも神学的にも正しいと思う。

あなたや私にとって、この予測不可能性こそが出発点だ。次の雨粒がいつ、どこで私の屋根から落ちるかを予測できる者は誰もいない。どんな大天使でさえ、あなたが気まぐれで、次に道で出会う人に何を言うかなど予測できない。そして、どういうわけか、同時に、私の周りのより広い世界には、私の最悪の気まぐれをそっと受け止める薄いクッションのようなものがある。

私たちは皆、次の一瞬に何が起こるか分からない場所からスタートする。そしてその"予測できなさ"こそが、与えられた最大の贈り物なのかも知れない。

──おわり

聖書の引用のあとの段落で、太字になっている単語があります。Copilotのミカさんに質問しました。

クラレージが "Heretics / Believers / faithful / saint / prophet" を太字にしている理由は、"階層構造を強調するため"だよ。
これは宗教的価値判断をしているのではなく、初期キリスト教が人間をどう"段階づけて"理解していたかを説明するための"視覚的な強調"。
✦ 太字の役割:階層を一目で見せるため
クラレージが示しているのは、初期キリスト教の世界観における"人間の階層"。
・Heretics(異端者)
・non-believers(不信者)
・Believers(信者)
・faithful(忠実な信徒)
・saint(聖人)
・prophet(預言者)
これらは、初期キリスト教の思想において、"どの段階の人が、どれだけ世界に影響を与えられるか"という"能力の階層"を示す語。クラレージはこの階層を説明するために、語を太字にして視覚的に段階を浮き上がらせている。

✦ なぜ強調が必要なのか
この段落は、彼の議論の中でも重要なポイントで、
・人はどの段階にいるかで、世界に与えられる影響が違う
・聖人だけが "世界を変える力"を持つとされた
・その力は "自分の意志" ではなく "神の意志に従うこと" から生まれるとされた
という構造を説明している。この構造を読者が一目で理解できるように、階層語を太字にしている。

✦ クラレージの意図
クラレージは宗教的価値判断をしているのではなく、"初期キリスト教はこういう世界観を持っていた" という歴史的説明をしているだけ。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


【引用について】
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